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2014年6月27日

920

国を愛しても、国家には気を許すな

 「石をもて追はるるごとくふるさとを 出でし悲しみ消ゆる時なし」と詠んだ啄木は、流浪の人生を送りながらも故郷を片時も忘れられず、春が来れば「やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」と故郷を懐かしんだ。

 生まれ故郷は一国の中では“情”の対象だが、世界的には、日本人には日本国が“情”の対象となることには、重々気をつけるべきだ。日本とは主権を確立した土地とその上に暮らす人民を管理する権力機構=“国家”に過ぎぬ存在だからだ。

 幸い、まだ明治時代には、為政者にも人間味があり、あの与謝野晶子が、あの旅順口の攻防戦に従軍した弟の身を案じて詠んだ、「あゝをとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ…」の一首を世に問うても、幸い国家的制裁は免れた。

 だが僕の記憶では、日中戦争から太平洋戦争に至るまでの為政者は総じて、明らかに無知だったのみか無情で、かつ国土と国民にあれほどの損壊を与えてなお、責任をとる良心すら持ち合わせていなかったことは、決して忘れてはならない。

 戦後、占領軍による政治体制の変革、死中に活を得た国民の清新な活力と知性、更に、予想外だった国際関係の変化により、日本は“世界の奇跡”と称えられる経済成長を達成し、民主的に選ばれた為政者たちも国内外から信頼を勝ち得た。

 だが、所詮は貰い物の民主主義、為政者の資質は年とともに劣化し、90年代後半のバブル景気には国民に先駆けて堕落し果て、その崩壊とともに日本国は、“失われた20年”と自嘲する国民的憂鬱症により、世界的存在感をも完全に失った。

 あの“冷戦”終結後、世界情勢は“グローバリゼーション”の名のもとに激変したが、日本ではそれがここ数年来、二十年遅れかつ頓珍漢なかたちで叫ばれており、下手すると、近くなし崩しに強権国家・日本も再来しかねない。嗚呼!

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2014年6月22日

919

安倍さん、いかが…?

 第二次安倍内閣成立から早くも1年半。この間の安倍首相 の精力的な東奔西走ぶりは、歴代首相に比し、誰から見ても 一驚に値する。今や、その場その場での表情や応対も堂に入 っておられ、(当初懸念された)健康にも完全に自信を持た れたように見受けられるのは、一国民として慶賀の至りだ。 …だからと言って、僕は安倍首相の積極的な支持者ではない。

どちらかと言えば、自民党に対してと同じく、一貫して“善 意の批判者”でありつづけている。現内閣成立直後に打ち出 されたアベノミクスの成功を心から期待はしつつも、当初か ら感じられた首相の“右翼的”言動が、政策の一応の成功に より強まってきていることを、殊のほか懸念している。

 それだけではない。最近の首相には軽率な発言が目立つ。 典型的な例は“女性の活用”に関する発言で、家事とか育児 を軽視して、やたら男性並みに家庭外で女性が活躍すること を期待されておられるようだ。ご自身が幼い頃から経済的に 恵まれておられた上に、結婚後子宝には恵まれなかったこと から、“家庭”というものが果たす地味ながら重大な社会的 役割に関してはほとんど無知であられるのかと、心配し ている。“男女同権”は当然のこととしても、出産は(それ が喜びであろうと負担であろうと)男性には不可能だから、 育児も(幼児の本能からして)完全に女性に向いており、 “イクメン”の成功例は、今後とも悲話でしかなかろう。

さて、今日は僕の満87歳の誕生日。この秋4人の子供た ちが計画してくれている妻との56回目の結婚記念パーティ ーを楽しみにしている僕は、半世紀以上完全な専業主婦とし て楽しい家庭を創り、子供を立派に育ててくれた妻の苦労に、 今頃になって心から感謝している…。安倍さん、いかが…?

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2014年4月21日

918

持つべきは、心楽しき畏友

 戦後日本の成長企業の中でもその経営方式で異彩を放ってきた船井電機の創業者・船井哲良君は、僕にとって同年の心楽しき畏友。毎年4月上旬には京都大学桂川キャンパス内の(同君の寄付に依る)船井哲良記念講堂で船井情報科学振興財団の理事会と褒賞および奨学金受賞式が、また夕刻には、京都市内のホテルで盛大な夕食懇談会が開催されます。

  この懇談会に先立ち、出席者全員は夫人ともども祇園歌舞練場での恒例の“都おどり”へ招待されますから、同財団創設以来の理事である僕もワイフと共に出席し、翌日は花の都を楽しんできました。ただし、今年は開催日が一週間遅れたことから、市内各所の桜は散っていました。…だがこんな時、京都には、もう一人の頼もしい畏友が…。

  その名は吉田豊君。今年66歳になる個人タクシー・ドライバーですが、並みのドライバーではありません。彼は若い頃から異常なほどの山岳愛好家で、深田久弥の“日本百名山”や日本山岳会の“日本三百名山”はもちろん、北は北海道から南は薩摩の果てまですでに900近い山々を踏破し、今や“吉田千名山”を目指す表彰ものなのです。

   このような人生を送るために、彼が二十歳代で選んだのが“個人タクシー・ドライバー”。 主な収入源はもちろん京都市内ですが、一方生き甲斐を求めての山行は全て標識を取り払った自家用車。北海道へは名古屋港からのフェリーで愛車と同じ船で寝、鹿児島まで900キロは時にサービス・エリアで愛車に抱かれて寝るという、実に“大いなる変人”です。

先週初め東京から同君に電話をかけると、幸い「来週は京都におりますから、お任せ下さい…」との返事。…昨日の朝彼の案内で向かったのは京都北山の奥。巡った宝泉寺、常照皇寺、黒田春日神社の桜は全て満開。花背峠を越えての帰路、沿道に咲き誇るみつばつつじ、しゃくなげ…を愛でつつ、つくづく「持つべきは、心楽しき畏友」と感じた次第・・・。

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2014年4月15日

917

ようやく、“老い”を知る

 僕はこの6月で満87歳の“数え米寿”を迎えます。これま で幸い子供の頃から身体にメスを入れられたことも無かったば かりか、入院の経験も無く、結婚して今年で57年になる妻が 人に「…この人を看病したことがありません…」と言ったりす る度に、「…称して、“健康優良爺!…」と冗談を飛ばしてきた 僕ですが、どうやら、やっと老人の仲間入りをしたようです。

 事の起こりは、去る2月末家族で一週間の“ハワイの休日” を過していた間に、3日間連続してゴルフを楽しんだことにあ ります。4日目の朝食後、妻とぶらりと街へ出てウィンドゥ・ ショッピングをしていた時、急に右足ふくらはぎに痛みを感じ、 歩行が辛くなったのです。何しろ僕は、父のお供をして、子供 の頃から山歩きを始め、学生時代は山岳部に所属して激しく足 を鍛えつづけましたから、街なんかを歩く時も早足で、連れの 方々には、気づかないでご迷惑をかけ続けてきたはずです。

 痛みはハワイから帰国した後も直らず、100メートルも歩く と辛くなり、休むと数分で解消して、歩き始めるとまた100メ ートルほどで辛くなるので、遂に決意して半蔵門病院に勤める 友人の内科医の診断を受けたところ、「右下肢の血流が滞って いるようで、血管外科の専門医の診断を受けた方が…」と勧め られて、愕然! 先週早速専門医の診断を受けました。

僕の足を診断した専門医は、平然と「…ああ、歳を召された 方にはよくある下肢の血行障害、言うならば動脈硬化ですよ。 薬を差し上げますから、それをつづけて服用して、痛くても我 慢して歩き続けることをお勧めします…」とのご託宣。半分納 得し、半分は「遂に、オレも…」とショックを受けた僕は、こ のところ毎日足を引きずりながら、懸命に都大路を歩き続けて います。しかし、明日はこの身で友人とゴルフ。ご安心あれ!

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2014年4月6日

916

87歳の僕、また次の大学を…

 去る3月15日、僕にとって三回目の初代学長となった事 業構想大学院大学は目出度く最初の卒業生を世に送り出し、 同月末をもって僕は、学長職を同学の後輩清成忠男君(元法 政大学総長)に託し、久しぶりに自由の身となりました。

 本学の設立は、@キャンパスを巨大都市東京で最もハイセ ンスなエリアとして定評のある青山表参道の地に設け、A毎 年度入学定員30名という正に“塾”とも言うべき規模で、 B「事業構想」(project design)と銘打った学界未踏の分野 に敢えて教育と研究の焦点を置いた点で、わが国はもちろん のこと、恐らく世界でも初の試みだと信じますが、年少の友 人東英弥君(株式会社宣伝会議会長・東教育研究団理事長) の協力により実現できたことに、心から満足しています。

 今年6月22日で満87歳になりますが、その僕は有難いこ とに、すでに5つ目となる新大学設立の相談を受けています。 4つ目の初代学長になろうなどとは思っておりませんが、僕 の場合、新しいプロジェクトの構想を練っている間は、人と の会話はもちろん、メディアやネットを通しての情報なども、 直接・間接を問わず目下の構想推進の貴重な知的刺激となる のみならず、時には有力な具体的推進の一助となるだけに、 毎日寝起きから就寝までを実に貴重な時間と感じています。

 ドイツに学びわが国への航空技術導入に貢献した父は、僕 の少年時代、三菱重工業航空機製作所の技術系幹部として新 鋭機開発の責任者を務めましたが、父の関心は常に“次なる もの”に置かれ、名機“零戦”を含め“既に生まれたもの” に対する関心の薄さを、僕は何時も不思議に思っていました。 その父が没した年齢に近づくにつれ、僕は自分の生き様が父 とそっくりであることに、今や喜びと誇りを感じています。

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2014年3月14日

915 活字情報はネット情報より面白い

 “ネット社会”の急速な展開過程で、長らく世論形成の先 達だった新聞も雑誌も購読者数の減少に悩んでいるようです が、“古い人間”である僕は、ネット情報よりは(いろいろ と考えながら読める)活字情報の愛読者です。例の“現代の ベートーヴェン“とまで持ち上げられていた佐村河内氏が、 実は全聾を偽って代作者に作曲をさせていたことを知って驚 いたのは『週間文春』の記事を読んだ時です。そして、「それ にしても、次々に発表された作品は、クラシック・ファンは もとより音楽家や音楽評論家にも高く評価されていたのに」 という僕の疑問に対して実に明快に答えてくれたのも、先週 発刊された『中央公論』4月号の千住明氏の一文です。

 何かにつけ簡単には“真贋の見分けのつけにくい”事件が 次々に報じられる現代を象徴するかのように、次いで起った のが、例の“STAP細胞”の発見。「快挙の中心人物として、 まだ一見うら若い女性・小保方晴子氏を写真入で一面と“三 面”で興奮気味に報道したのは一流新聞各紙でしたが、その 興奮冷めやらぬうちに、この快挙の元となった(『Nature』 誌の)論文に問題ありと指摘したネット上の記事がきっかけ で新聞各紙の記事が混乱している最中、週刊誌『週刊新潮』 (3月20日)号までこの事件を取り上げましたが、さすがに、 その表題も振るっています。題して『“小保方博士”はチェッ クメイトか?』。説明が無いとはいえ、初音ミクの「Wikiチェ ックメイト」をもじって、彼女を皮肉ったことは確かです。

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   チェックメイト もうおしまいった まいった

   それで終わるなら 神様なんて いらないのです

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2014年3月3日

914 堤清二君との「お別れの会」に因んで

 先週水曜昼帝国ホテルで行われた「(堤清二君との)お別れの会」からの帰途,つれづれなるままに日比谷公園を独り散策しながら、同年の亡き友の生前に思いを馳せました。長く体調を崩していると聞いていた同君から、昨年の夏、突然一冊の詩集『死について』が贈られてきた時には、びっくりしたものです。その題名より本の表紙に描かれた薄気味の悪い絵と、それを説明する次のような一文によって……。

 「病院のベッドに横たわる詩人の前を繃帯を捲いた死者たちが通り過ぎていくこのほろびゆく国で死者たちはどこに向かうのか…」と言う一文こそ、晩年は作家・辻井喬として旺盛に活動した同君の常人ならざる真骨頂……。死の床にあってもなお恐ろしいほど繊細な神経を働かせている同君に対し、早速僕なりの感想と激励をこめて礼状を送りましたが、それから数ヶ月後、ご遺族からの訃報に接しました。

 僕らの歳にもなると、同年の友の訃報に接すると、悲しみよりは、遠からず僕も行くあの世で待っている友が増えたといういわば日常的出来事のような気持ちでそれを受け取れるとともに、改めて、「あの爺さん、未だ生きているよ…」とまで言われて生きていたくはないと、心に念じます。

 それにしても、今後のわが国の高齢者人口の増加に伴う認知症高齢者の激増予想の数字を眺めて、未来のこの国で安らかな老後を送る夢に浸れる日本人は果たしてどれだけいるでしょう。日本と違い早々と賢明にして勇気ある移民政策を採ったシンガポールですら、さすがに最近は、認知症高齢者介護にまでその政策を適用しつづけなくなったとのこと。全般的にかたくな移民政策に今もって固執している日本の政治家には、どういう自国の未来像があるのでしょうか…。

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2014年2月25日

913 “夜郎自大”は末世の兆し

 懸念されたテロも起こらず、オリンピックも閉幕。僕が恐ら く生涯忘れられないその想い出は、やはり浅田選手の2日間の 演技。彼女の美貌には何時も、宿年のライバルとされてきたキ ム・ヨナ選手の負けん気とは対照的に、ある種の憂愁の漂いが 観客の不安をそそりますが、今回もSP出だしでの3回転ジャ ンプでの転倒をきっかけに終始危なげな演技で結局16位。彼 女の翌日の健闘を切に祈りつつ、僕は眠りにつきました。

 だがその翌日、森喜朗氏のあの非常識な発言を知った僕は呆 れるより、心から怒りを感じました。首相時代には、公の場で IT(information technology)を「イット」と発音して天下の失笑 を買い、内閣支持率史上最低という芳しからぬ記録を残して 退陣した人物ですが、政界という特殊の世界ゆえに、その後も “元首相”で便利に用立てられ、今や東京オリンピック組織委 員長の立場にあることさえも弁えないあの発言、“夜郎自大”という言葉はこの人のためにあると感じる次第です。…そして自ら が受けた屈辱を知ってか知らずでか、FSで真央ちゃんが見せて くれた完璧な演技。珍しく感動した僕は、本当に久しぶりにスポ ーツというものの本質に接した思いでした。

 僕はアベノミクスの成功を心から祈ると共に、安倍首相の前代 未聞の大活躍ぶりには敬意を表しますが、世の見識者や自民党を 支持する国民はもとより、与党の自民党や公明党の政治家の中か らさえ批判の出ている“強権主義的人事”の成り行きには大きな 不安を感じています。純然たる公職であると否とを問わず、安倍 首相の意向で登用された人物が起こす“夜郎自大”的事件なり言 動が頻発する一方で、内閣の命運いや国家の命運をも左右しかね ない首相の“靖国参拝”などに関しては、職を賭して反対した側 近の名を未だ聞かないのは、まことに残念の限りです。

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2014年2月10日

912 真のグローバリゼーションとは何か

 (多くの方々のご要望にお応えし、Rapportは小生のHPで継続させて頂きます)

 先日、一仕事を終えた解放感から、夕食後居間のソファに寝 転んで、珍しくテレビに向かいリモコンを操っているうち、ふ と興味深い番組に行き当りました。成田空港内を行き来する外 国人のうち面白そうな人に収録スタッフが声をかけ、来日の理 由とか感想を聞くという、いかにも民放らしいお手軽番組。

 (もちろん、相手の取捨選択をしたはずだけに)どの外国人 の受け答えも面白かったのですが、とくに面白かったのは、 Perfume の公演を三日間つづけて観賞するために、チケット を予約してわざわざ米国からやって来たという中年の堂々たる 体格の紳士。もう長年のPerfume ファンで、「彼女たちの歌も 踊りも全くユニークで、体中に元気が湧いてくるから毎日 DVD で視聴している…」と言うわけで、「彼女たちの公演を 多くの日本人ファンと一緒に観賞しながら快い興奮に浸るのが 年来の夢だった。興奮してるよ…」といった具合。

 その彼には、翌日から大阪の京セラドームPerfume 公演で の彼の熱狂的ファンぶりも、実に巧みに収録されていて、僕は 久しぶりにTV 番組の真骨頂を味わいました。それにしても、 ウィキペディアによると、2000 年に広島の一芸能スクールに 通う3 人の中学1 年生によって自発的に生まれたこのグルー プが、忽ち広島地方きってのアイドルとなるや、数年後には請 われて東京進出、やがて(清新なセンスを持ったプロデューサ ー、デザイナー、作曲家などの協力を得て)衣装・歌曲・踊り …を一新し、いわゆる“近未来型テクノポップユニット”の芸 風で世界の芸能界への進出を果たしました。

 グローバリゼーションという世界的趨勢の中での軽薄な“英 語ブーム”に対し、田中投手ともども格好の教訓でしょう。

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2014年1月6日

911 これからの人生に向けて…
―Rapport 一旦終了のご挨拶

 お正月を心安らかに過ごされましたか? 僕も今年は珍し くほとんど我が家から出ることもなく、やってきた子供や孫 たちと楽しい時を過ごしたことと、たくさんの年賀状にゆっ くり目を通したこと以外の時間は、「これからの世界と日本、 そして、残された人生」にひたすら思いを巡らせました。も っとも、仕事にも健康にも人間関係にも目下とくに心を労す ることもないので、つれづれなるままに自らの人生の近未来 像を心の中に落書きしまくったと言うべきでしょうか…。

 「あの爺さん、未だ生きているよ…」とまで言われて生き ていたくはない僕にとって、残された人生はせいぜい10 年。 この間、経済の停滞から脱しようと努力する先進各国とひた すら成長を目指す途上各国は、それぞれ国内に政治的・社会 的対立と不満を常態化しつつも、(局地的紛争の頻発は不可 避とはいえ)消極的な世界平和を何とか維持してくれるだろ うと信じます。そうした趨勢の中にあってのわが日本ですが、 目下のアベノミクスも遂に社会変革までは達成できそうにな く、国家としての趨勢的斜陽化は不可避的と諦めました。

 では、どうすべきか? 要するに、政治家などに儚い期待 を抱くより、僕は、自分自身の努力で実現可能な幾つかの大 小プロジェクトの達成に、残りの全人生を賭けようと決意し た次第です。そのためには、これまで慣習的に時間を割いて きた全ての知的作業を見直さざるをえなくなり、葉書 Rapport も911 号をもって一旦打ち切らせていただくこと をご了承賜りたく存じます。ネット上での継続なども考えて はおりますので、その際は改めてご連絡申し上げます。長い 間のご愛読に対し、改めて心より感謝致しつつ…。

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