2013年6月25日 |
|
|
三転四転したソフトバンク社による(米国携帯電話企業) スプリント社買収も、ソ社に有利に決着しそうな報道が伝 えられた先週水曜日、僕のオフィスに突然ニューヨーク・ タイムズ社から「孫正義氏の件で…」至急取材の電話依頼 があり、金曜午後約1 時間女性記者と会いました。
その日はソ社の株主総会があり、彼女はその取材後僕の 所へやって来たとのことでした。僕は冒頭「ソ社の経営に 僕は全く関与していないが、もし買収が成功すれば、その 後は孫君が率いる企業が米国で本格的に活動することにな るに違いない。そしてそれは必ず米国民のためになる…」 と切り出すと、彼女も「先日の社説に、本紙もそのように 書いています」と応じて、和やかな会話となりました。
孫君が僕の赤坂オフィスにやってきたのは30 年もの昔、 そこで南部靖之君と知り合い気が合って親友になったので すが、「その時、南部さんの社員が6 人と聞いて、すごい な!僕の3 倍だ…」と驚いたとのこと…。以来僕との交 際も3 0 年を超え、同君のソフトバンク・グループは実に 社員3 万人にも達しようという大企業に成長しました。
無名の零細企業を一代で名だたる大企業にまで拡大させ る起業家はどこの国でも例外なく@遠大な抱負、A独特な 戦略的経営能力、B強靭な精神の持ち主ですが、彼ら全て が必ずしも(企業活動を通しての)社会的貢献への篤い志 の持ち主であるとは限りません。その点孫君は、30 年前 僕のオフィスで初めて会った時に僕から教えられたという (僕自身は全く覚えてはいない)その“志”の話を今も感 動を込めて語るほどの人物。「損しても“正義”を貫く」 を口癖にしている孫正義君の大成を信じて疑いません。
|
|
2013年6月10日 |
|
|
今や世界では、生産財ないし消費財として最も日常的な商 品である“紙”に異変が起きつつあります。IT 技術の急速な 進歩が、紙(除板紙)需要全体の中の80%を占める新聞およ び印刷情報用紙の需要を減少させてきているからではありま せん。過去わずか数十年間のうちに、久しく未開発ないし開 発途上だった国ないし地域が(安価な労働力の動員や各種天 然資源の開発などにより)経済を急発展させつつ人口を急増 させ、世界的に紙の需要が急増しつつあるからなのです。
こうした事態に際し、紙(含板紙)の生産に旧来通りパル プ(=木材=森林)と水という自然資源を大量に消費しつづ けることに当然限界があることは、識者の指摘を待つまでも ないでしょう。だが、製紙業界でこれまで為されてきたこと と言えば、世界各地での植林事業とか製紙原料としての古紙 の利用ですが、前者には経営面での限界があり、後者には再 利用面での(品質低下などの) 限界だけでなく、水をより大量 に使用せざるを得ないという決定的限界まであるのです。
したがって、世界的に真に待望されるようになったのは、 パルプを原料とせず、また水も必要としない製紙法でしたが、 何と最近、石灰岩を原料とし水も使用せず、しかも十二分に 紙・プラスティック製品の代替商品となれる新素材が、日本 の一ベンチャー(株式会社TBM)によって開発されたのです。 実は僕は昨年来同社創業者・山崎敦義君の要請を受け、事業 の立上げにあらゆる面で積極的に協力してきました。幸い審 査の難しさで定評のある(経済産業省)「イノベーション立地 補助金(2012 年度)」も無事にパスして、今年内に宮城県内 に(日立造船により)テスト・プラントの建設が進められる 予定です。どうか同社の成功を楽しみにお待ちください。
|
|
2013年5月23日 |
|
|
「液状化の危険、都内9.2 平方キロ」(5 月15 日)、「噴火対 策国が主導」( 同17 日)、どちらも天下の朝日新聞朝刊一面トッ プの大見出し記事。前者は南海トラフ巨大地震が起こった際 の東京都発表の被害想定、後者は、政府の有識者会議発表の 大規模火山災害( 富士山等の大噴火) に対する(政府の)対処 方針。前日に大したニュースが無いと、(「起こったら大変な ことになるぞ」という)想定大事件で“紙面”人を脅す「マ スコミの悲しい性」と、笑って済ませられるものでしょうか?
こうした扇情的マスコミ報道は、対内的よりはむしろ対外 的効果の方が圧倒的に大きく、外国ではごく小さく報道され ても、とくに日本の実情に疎い外国人には、「日本は危険だ!」 という固定観念を与えがちです。一方日本では、例えば東京 の下町住民や富士山周辺の住民の間にパニックが起こってい るどころか、会場一周年を迎えた東京スカイツリーは年間 685 万人、スカイツリータウンは5,080 万人と何れも当初の 予想を大幅に上回る賑わいをつづけ、晴れて世界遺産登録が 決定した富士山周辺の自治体も企業も住民も「おらが春来る」 と大いに盛り上がっています。だが残念ながら、こうした現 実は、海外マスコミには、全く報道価値がないのが実情。
ところで、いよいよ“第三の矢”の段階に来たアベノミク スでは、経済成長策の一環として「外国人観光客二千万人」 の目標を掲げています。“第一の矢”の予想外の効果で、(円 安により) 外国人観光客数は(アジア各国からの訪日客中心に) ここ数ヶ月目だって増加傾向にあるとはいえ、観光庁長年の 念願である一千万人もなかなかの難関。とすれば、日本のマ スコミの自虐的報道姿勢は“意図せざる反日行為”なのでは? |
|
2013年5月13日 |
|
|
表題から、急に僕が国際関係論に首を突っ込みたくなった ようだとは速断しないで下さい。毎月送られてくる幾つかの 雑誌に(友人たちとの語らいを、単なる“雑談”に終らせな いための話題づくりに)昔から毎週目を通してきていますが、 先週は『中央公論』誌6 月号の『日本が軸足をおくべきは、 米国?中国?』に強い関心を抱かせられたわけです。
日本研究の第一人者として定評が確立している英国人 R・ ドーア教授の近著(『日本の転機』)に対し、国際関係論の分 野の新進の論客であるイタリア人 G・プリエセ氏(米国の高 等研究機関在籍中)が率直な批判を投げかけたことから始っ た(実に7 回にわたる)両者の論争の要約と、それに対する わが友エッズ(E・ヴォーゲル教授)の“講評”が一挙に掲載 されて圧巻です。詳しくは、是非その記事のご一読を…。
要は、「(中国の急速な台頭に衝撃を受けた)日本人は、指 導者や一般人の多くも、前世紀末の頃よりも明らかに米国へ の期待を深めている。が、米国でも(好き嫌いは別として) 対中評価の高まりにつれて多くの指導者や一般人の対日評価 や感情も微妙に変ったため、一方的“米国頼み”からの脱却 こそが日中関係の改善に資する」と先ずドーア氏が提言。次 いで(「その考えは甘すぎる」と)プリエセ氏の反論が起点と なり、誌面での論争はどんどんエスカレートして行きます。
最後に、エッズの判定は「ドーアさんの提案はあまりに理 想的で、他の提案を考えた方がいい…」とブリエセ氏有利に 下されますが、この判定に対し、プリエセ氏は(当然)「全面 的に賛成」。ドーアさんは、「日米関係を強化しながら、中国 にもっと接近すべきとするエズラさんは、半世紀にわたる友 人ながら(船橋洋一氏と同じく)“お人好し”…」と恨み節。 |
|
2013年4月25日 |
|
|
地上最強の動物と言えば、個と個の対決では体力で相手を 圧倒する点、北半球では北極グマ、南半球ではアフリカ象が 挙げられますが、力では彼らより遥かに優っていたはずの大 型恐竜も何千万年前に地球を襲った大変動で絶滅し去ったこ とを考えると、生態系の変化への適応力の点では、巨大な動 物は恐らく押しなべて最劣位に転落せざるをえないでしょう。
もちろん、微小動物にも環境適応力の強弱はありますが、 最近、この点で俄然注目を集め始めたのが“クマムシ”。千種 類にも及ぶその体の長さは0.05 〜 0.17 ミリと微小ですが、 拡大した姿は少年雑誌に出てくる怪獣のような迫力があり、 緩歩動物部門に属するだけあって、4 対8 本足でのっしのっし と歩く姿は正に熊そっくりで、英語名はwater bears です。
地球上なら熱帯から北・南極、高山から深海…どこにでも 生息しているのみか、超高圧下・超低圧下はもちろん高線量 の放射線下でも生き延びるしぶとさに着眼、目下パリの大学 でこの動物の研究に没頭している堀川大樹氏に奨学金を出し ているのは、何とNASA(米国航空宇宙局)。同機関の重要 課題である宇宙開発は、宇宙にそのまま放り出されても生き 延びるクマムシの恐るべき環境適応力を見逃していません。
雑誌「BRUTUS」は最近号で「あたらしい仕事と僕らの未 来」Aを特集していますが、革新的分野を開拓中の28 人の事 業家のうち『ミクロの可能性』と題し、大学初のバイオベン チャーとして昨年末東証マザーズに上場を果たした(株)ユー グレナ(“ミドリムシ”を含む単細胞藻類の総称を社名にした) の社長・出雲充氏と、“クマムシ”に命をかけてキャラクター グッズ「クマムシさん」の販売や有料メルマガの発行までやっ ている堀川氏の近況を伝えています。
|
|
2013年4月18日 |
|
|
僕と同年の親友である船井電機の創業者・船井哲良君は、 今や恐らく、世界でも最年長の現役経営者でしょう。激しい 国際競争条件下で苦戦中の日本の電機業界の中で同社の堅実 な業績が目下目立ちますが、僕が同君を尊敬しているのは、 典型的な“創業型成功者”であるにもかかわらず、いやそれ だけに、学術研究への敬意と・期待が殊更に大きいことです。
現在同君が理事長をつとめる船井情報科学振興財団は、同 君が自社株を中心とする膨大な個人資産を寄付することによっ て01年設立認可された公益財団法人で、以来情報分野を中 心とする科学技術の推進と人材育成のために積極的な貢献 をつづけています。また07年京都大学桂キャンパス内に完 成した素晴しいデザインと施設の大講堂は、その名(船井 哲良記念講堂)のごとく同君の高額な寄付で創られました。
先週土曜午後、(僕も一員である)同財団理事会が同講堂 内の一室で開かれた後、優秀な実績を挙げそうな若手研究者 への研究助成と海外の一流大学へ入学決定した学生への奨学 助成の式典が大講堂で挙行され、夜は市内のホテルで祝賀会 が開催されました。この華やかな宴の席で、僕の脳裏には、 理事会後の雑談の席での船井君の発言が去来し続けました。
同君は典型的実例を挙げて、「最近の日本の企業経営者の 中には、自社の利益よりは自分の利益を優先する者、また、 自社の利益のためには自国の利益を考えない者が増えつつあ る」と慨嘆しきりでしたが、実例として挙げられた経営者は (出世コースを順調に歩んでトップの座に就いた)所謂“エ リート経営者”。彼らのような人たちこそ、「我欲を超えた 社益、社益を超えた国益を貴し」とする船井君のような日本 の典型的創業者の生き様を謙虚に学んでほしいものです。
|
|
2013年4月15日 |
|
|
久しぶりにヒッチコックの新作が上映されています。しかも、 お定まりのカメオ出演でなく、タイトル『HITCHCOCK』が 示すように彼自身が主演の作品。もちろん死後すでに40 年に もなる彼に扮するのは、名優アンソニー・ホプキンス。主題 は不朽の名作『PSYCHO』製作にかかわる裏話(≒実話)。
思えば『PSYCHO』が全米の映画ファンを熱狂させたのは、 半世紀昔の僕のボストン時代。当時彼は既に映画界で巨匠の 名を確立していましたから、以来今日まで僕は、その作品が 全て申し分のない条件下で製作されたものだと思っていまし た。が実は、『PSYCHO』の破天荒な発想は全ての映画会社 に拒否され、そのため彼は広大な自らの豪邸を担保に自己資 金で製作を敢行。しかも、苦労の末完成した作品は関係者試 写会で酷評された結果、彼は破産に追い詰められました。
それを救ったのは、彼の良妻兼仕事上の無二の協力者であっ たアルマ。脚本家としてまた映画製作のプロとして夫の成功 を蔭で支えつづけた彼女は、『PSYCHO』に関しては考えが 合わず、久しぶりに自分の新作に没頭していた間に夫の危機 に直面させられたのですが、落胆の極にあった夫を叱咤激励 し、短時間の間にフィルムの再編集によって失敗作品を驚異 的成功作品へと変身させるという奇跡をやってのけたのです。
異色venture には、洋の東西を問わずペアの創業者が目立 ちます。シリコンヴァレーの半世紀ならヒューレット・パッカー ド、マイクロソフト、アップル、グーグルなど、戦後の復興・ 成長期の日本ならソニー、ホンダ、松下電器、リコーなどで すが、これは単なる偶然とは思えません。“隼”の設計主任で、 戦後は組織工学研究所を主宰した糸川英夫氏は、この方式を“ペ アシステム”と名づけて重視したことが思い出されます。
|
|
2013年4月8日 |
|
|
安倍内閣発足以来、長期間の日本経済の停滞を打破すべく 次々と打ち出される政策は“アベノミクス”と総称され、多 くの国民から大きな期待がかけられていることは、同内閣へ の国民の高支持率が示す通りです。僕もその成功を強く期待 する国民の一人ですが、二つの不安を抱いています。
一つは、“経済”を超える問題です。一般に“三本の矢” と称せられる政策の効果に関しては、“一流”と称せられて いる経済学者の間でも意見が真っ向から分かれるわけです から、政策の成功を左右する要因は政策そのものより、政策 を推進する過程での国内の政治情勢とか、一国ではどうにも ならぬ国際的経済・政治情勢の動向にあるはずです。僕はこれ らがアベノミクスに有利に働くことを切に祈るのみです。
今一つは、アベノミクスという“計画”には、いわゆる“構 想”が欠落しているように思えてなりません。構想の最大の 特徴は数字とか文字を超えた“心象風景”にあるわけで、具 体的に言えば、この政策が成功を収めた後の日本社会は(現 在とは違った)どういう情況になるのか、そして世界の国々 の人々が抱く日本のイメージは具体的にどう変るのか、といっ たことですが、アベノミクスに関する過剰なほどの報道にも かかわらず、それが成功したあかつきにわれわれが待望でき る“日本像”が今のところ全く描けないのは残念です。
この点、1960 年池田内閣によって打ち出された「所得倍 増計画」も、また1972 年田中首相が発表した「日本列島改 造計画」も、日本国民の胸をわくわくさせるような“構想” の魅力が溢れていました。前者は見事に成功を収めて敗戦国 日本を短期間で世界有数の経済先進国にし、後者は翌年に勃 発した“石油危機”で、夢は果かなく破れたりとはいえ…。
|
|
2013年3月26日 |
|
|
今週末僕の三男豊(加)は、当分米国で暮らすため、家族と 共に日本を離れます。あのリーマンショックの直前、ところ もあろうにニューヨークのウォールストリートの近くに開 業したレストランが予想外の成功を収めたことで海外事業 への自信を深め, 今後は米国を含む海外諸国で積極的に 事業を展開して行こうと、彼は野心満々です。「一時の成功 にのぼせるな!」、「海外の事業は、日本ほど甘くはないぞ!」、 「世界を飛び回ると健康を損なう恐れが大だぞ!」…等々、父 親としてさんざん注意はしましたが、だからと言って僕は、 彼の海外進出を思い留まらせようとはしませんでした。
心の底では、彼の挑戦的生き様を喜んでいるからです。 明治の中頃、中学生だった僕の父はライト兄弟の偉業に感 激して航空力学専攻を志し、一心に勉強して大学の物理学 科に入学しましたが、当時の大学にはその道の大家はおら ず、失望した父は卒業後海軍技術研究所の研究員としてド イツの大学に留学し、少年時代からの夢を果たしました。
その父を尊敬し“父を超える航空技師”を目指した僕の“少 年の夢”は、敗戦と共に潰えました。やむなく文科に転じて 大学に進学した僕は、戦後復興期に一際逞しく経済を牽引 していると感じた一群の企業と個性的経営者に強い関心を 抱きましたが、僕の関心を充たしてくれたのは“経営学”の 講義ではなく、たまたま手にしたドラッカーの本でした。そ の後MITでの2年は、「大学はどうあるべきか」という学生 時代からの僕の疑問を、見事な現実で答えてくれたのです。
以上一連の事実から考えると、豊の米国行きは、その時 代その時代の“母国の現実”に納得できない野田家固有の ロマンティシズムの自然な発露だと、僕は信じています。 |
|
2013年3月15日 |
|
|
TV の画面に出てくる北朝鮮政府報道官が何時しか女性から 男性に代わりましたが、終始肩をいからせ声を荒げて叫ぶよ うに話す姿は全く変わりません。その姿と声に接するたびに、 僕のように戦前から戦中の日本を肌で体験した世代の人間は、 太平洋戦争直前の日本社会の状況を苦くかつ怖ろしく思い起 こさざるをえません。当時の日本の国家指導者は、“我が国” の発展を不当に阻もうとする国々に対する怒りと不安がつの り、「戦いも辞せず」という心境に追い詰められていました。
当面の敵は経済力においても戦力においても明らかに優越 していた米・英両国でしたが、西方の中国ではすでにのっぴ きならぬほど戦線が拡大しており、北方では関東軍(≒日本 陸軍)が宿命的仮想敵国ソ連と一触即発の緊張関係にありま したから、わが国指導者の心理状態は正に“四面楚歌”だっ たはずでした。だからこそ、遠く欧州で一足先に先進“民主 国家”を相手に戦争を開始していた独・伊と相計って、“戦争” という捨て身の“賭け”に出たわけです。正に、「世界を敵に してでも…」という現在の北朝鮮政府指導者の心境と同じです。
こういう状況にある国家の国民は、実はたまったものではあ りません。が、悲しいかな、こういう状況になると、日本とか 北朝鮮のような単一民族国家の国民の多くは“愛国心”という 健気な本能に駆り立てられるのです。“国”=“故国”=“故郷” は理屈を超えた“愛”の対象ですが、“国家”という“権力機構” を牛耳る指導者にとっては、国民のこの本能的“愛国心”くら い価値のある無形の資源はありません。こうして戦前の日本人 は、愚かで心無い指導者により、地獄を味わわされたのです。
戦後70 年弱、戦前の日本を知らない同胞に対して僕は心か ら叫びたい、「国を愛しても、国家には気を許すな!」と。
|
|
2013年3月3日 |
|
|
今日は“桃の節句”。女の子の健康と幸せを祈る日本古来の式 日ですが、新聞紙面にはそれに因む心和むような記事は見当た らず、朝日新聞に至っては一面の「2200万人 津波リスク大」 の大見出しで、多くの読者の心をいたずらに暗くさせました。 これは、大してニュース性のある事件が前日に起こらなかった ため、名古屋大学減災連携研究センターの教授らの津波発生に 関する“科学的”調査研究の所見を要約報道しただけです。
東日本大震災発生から早くも2周年が近づきましたが、あれ 以後の日本人は政治家から一般国民まで明らかに、大地震+大 津波+原発損壊に関する“災害恐怖症”にかかったと思われます。 主たる推進役は偏ったマスコミ報道で、原子力工学や地震学の みか、それまでは話題性の乏しかったさまざまな学問分野の大 学教授や研究者や評論家が、我も我もとマスコミ上で「起こり うる災害」の極限について発言をするようになりました。
ただし、僕の親しい地震学専攻の大学教授が「地震の予知は、 目下のところ科学的には不可能なのに・・・」と嘆くように、同じ 分野の学者・専門家とはいえ、起こりうる災害の程度ないし科 学的予測能力そのものに関し控えめな見解をマスコミは好み ませんから、わが国の“災害ブーム”は、今や富士山噴火(火山学)・ 超台風(気象学)・巨大隕石落下(天文学)・・・へと急進中です。
“災害ブーム”の推進役がこれまで自然科学系学者・研究者に 偏っていたのは、災害因からして当然ですが、“アベノミクス” の出現で、俄然社会科学系学者・研究者に発言機会が到来。ただ し、“大御所”同士がマスコミ上でその政策の成果を派手に喧伝 し合っても、予想される現実には共にそれほどの“臨在感”は湧 きません。何れにせよ、“科学”の名における大胆な予測は人心 を乱すのみか、“科学”そのものの信用にかかわるでしょう。
|
|
2013年2月20日 |
|
|
昨日午後赤坂の僕の事務所に秋田の国際教養大学(AIU) 学長秘書から、「…14 日中嶋嶺雄学長が逝去されましたが、 本人の強い意志に従い昨日家族のみで密葬を行い、報道各社 にはこれから連絡いたしますが、野田先生にはその前にお知 らせせねばならぬと思い…」という悲しい電話が入りました。
04 年に開学した国際教養大学のキャンパスは、その前年に 撤退したミネソタ州立大秋田校の用地を改修したものですが、 同校の撤収後秋田県はその用地を買収して秋田県立大学の国 際系学部設立を計画し、00 年に発足した検討委員会委員長 を東京外大学長退任直後だった中嶋君に要請しました。約 10 人の委員の一人を要請された僕は当時宮城県の県立大学長 でしたから、(中嶋委員長とは終始以心伝心を保って)「既存 の県立大学に一学部など新設するより、小規模ながら画期的 発想の新大学の創設すべき…」と強く主張しつづけ、結局反 対意見を排して誕生したのがAIU。それが今や日本で最も高 い評価を受けているのは、欣快至極。中嶋君の努力は十二分 に報われたのです。同君のご冥福を心からお祈りします。
1 月30 日には加藤寛(享年86 歳)、2 月8 日には江副浩正 (同76 歳)、そして中嶋嶺雄(同76 歳)と、この2 週間で、僕は 3 人の古い友人に先立たれました。加藤氏とは大学こそ異な れ院生時代にアルバイト先で知り合って以来60 年余の親しい 仲、10 歳年少の江副君との仲も約半世紀に及びますが、同君 が例の“リクルート事件”の刑事被告人として最終判決が下さ れる直前に、同君からの依頼で「被告人側上申書」を、心を込 めて書き綴ったことが忘れられません。群がっていた友人知人 が事件と共に一斉にそっぽを向いた時、きっと彼は、利害得失 と一切無縁だった先輩のことを思い出してくれたのでしょう。
|
|
2013年2月19日 |
|
|
マスコミは日ごとニュース性のある事件を大々的に報じ論 ずるため、我々は自国にとって何が真に重大な事件かをとか く忘れがちになります。例えば、中国海軍の艦艇がわが国の 海上自衛隊の護衛艇にFC レーダーを照射した事件からまだ十 日ほどしか経っていませんが、その後「グアム島中心街での 無差別多数殺傷(12 日)」や「ロシアへの大隕石の落下爆発(16 日)」といった衝撃的事件が起こるや、もはや「FC レーダー 照射」は、当面大衆の関心事ではなくなりつつあるようです。
しかし、上記3 事件のうち、後2 者が全く偶発的かつ一過性 であるのに対し、前者は「(これまでの状況から)必然性があ り、かつ(今後の進展如何では)日本の命運を左右する事態を 引き起こしかねないことを我々は銘記すべきです。中国軍部、 ないし指導層の非をいくらなじったところで、いざレーダー照 射より一歩進んだ事件を機に日中両国が事実上戦争状態に入っ たと仮定した場合、わが国にはそうした事態に現実的に対処 できる法制度すら不備な上に、指導者の資質はもとより信念も 乏しい以上、自衛隊が軍事力を十分に発揮して中国軍に対抗 しうるとは、僕には到底思えません。問題は(安保条約の範 囲内で)米国が(自国の利害の観点から)事態にどう対処する かですが、これにも大きな期待が持てないとなると、中国軍の 異常な敵愾心と惜しみない物量作戦による攻撃の成果が意外 に挙がれば、日本国内が大混乱に陥ることは必然でしょう。
僕の幼少期、日本陸軍(関東軍)の北中国での暴走を政府 は止めえず、国民の大多数もそれに歓喜しました。驕った関 東軍は南満州鉄道を自ら爆破した上に、中国軍の仕業と偽っ て満州事変を起こし、それが日中戦争、更には太平洋戦争へ と暗転していった歴史を、われわれは忘れてはなりません。 |
|
2013年2月12日 |
|
|
「東洋経済」誌2月9日号は、実に40ページを割いて『海外移 住&投資─“脱ニッポンという選択』という特集を掲載しま した。内容は主として“移住”で、現在の日本に住むことが経 済的ないし精神衛生的に不利と判断し、もっと納得の行く国 に永住ないしロングステイする(日本生まれ日本育ちの)日 本人の数が増加している現状を、豊富な実例を基に説明して くれていますから、この特集の影響力は相当強いはずです。
僕はこの約10年機会あるごとに、「“国”を愛しても、“国家” には気を許すな!」と言う主張を繰り返してきました。これは、 戦前・戦中・戦後を経験した最後の生き残り世代の一日本人と して已むに已まれぬ気持ちに駆られてです。もっと具体的に 言えば、(経済的にも社会的にも斜陽の色が濃い)日本国の現 状がこのまま推移していくと、日本人はやがて戦前の日本人 と同じ過ちを繰り返し、しかも(民族として戦前より“老化” が明らかなだけに、)取り返しのつかない事態を招くはずです。
日本語では“国”と“国家”との区別がつきませんから、ふ つう日本人は両者を混同していますが、個人にとって“国” とは(いくら否定しようとしても否定しきれない)“情”の対象。 他方“国家”とは「一定の土地に主権を確立し、そこに住む人 間を支配する“権力機構”」で、本来の目的としての“統治“の 立場からは最も利用価値のあるものが、国民の“愛国心”です。
具体的に“国家”とは、その支配権を握る“政治家集団”で、 戦前の日本軍部やドイツのナチスがその典型ですが、そのア ンチテーゼとして生まれたデモクラシーは、ギリシャの昔か ら“衆愚政治”に陥る運命を秘めています。あのワイマール共 和国がナチス・ドイツに変身したような“民主日本の終末期” を予感した人々の“国離れ”が、いよいよ始ったのでしょうか? |
|
2013年2月5日 |
|
|
全日本女子柔道の園田監督が辞任しました。柔道女子選手 15 名から体罰の不当で訴えられた結果ですが、今回の事件で は、選手たちの親が珍しくマスコミの話題にならないなと思っ ていたところ、選手の一人が「親の口出しで国際大会への選 出が不利になると思い、体罰のことを言えなかった」と告白 したことを知り、「またか…」と感じました。一体、何を?
人間の“生き甲斐”の根源は“親子の絆”にあると、僕は 信じています。この考えは、あの戦争末期から敗戦後にかけ て日本社会が悲惨な状況にあった頃、少〜青年期の僕が、両 親の日常の言動から本能的に体得したものです。あの時期の 日本では(一部の特権階級を除いては)誰もが、親は自らを 犠牲にしても子を守り、子は親を誰より頼りにして懸命に生 き抜きました。あの時代から70 年、戦後の奇跡的復興→驚異 的経済成長→苦節の10 年→驕慢の末のバブル→自業自得の“第 二の敗戦”を経験して、今や日本は経済の長期的沈滞と共に、 (未だ世界の多くの国々に比し恵まれた暮らしを享受しつつも) 社会には閉塞感が横溢し、倫理の退廃は遂に親子関係の極度 の希薄化までもたらしたものと、僕は信じざるをえません。
目下マスコミで話題の大阪市立桜宮高校バスケ部主将の自 殺事件では、(同部顧問だった教諭からの息子への体罰を知り ながら、最終段階で相談もされなかった)両親が子供の自殺 後に激高して教諭を告訴に踏み切りましたが、(学校体育での 体罰容認派だったはずの)市長の豹変ぶりに対し、教育委員 会や保護者会には強い反発もあり、結局事件の真相解明はも とより事件再発のための善後措置すら未だ生まれていないよ うです。昔とある赤坂のバーで鶴田浩二氏と肩を組んで歌っ たあの歌の一節が、何故か懐かしく思い出される昨今です。 |
|
2013年1月24日 |
|
|
先日の麻生副総理の発言がマスコミに流れ、世の批判の的 になっています。人生の終末期を迎えて延命装置によりどう にか生きている人々を意識し、「…いい加減に死にてえなあ と思っても…生かされたんじゃかなわない。しかも、その金 が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます 寝覚めが悪い…」という威勢のいい発言も、寄席での落語 家の発言ならともかく、社会保障国民会議での中核閣僚の 発言となると、多くの国民の怒りを買うのは当然でしょう。
しかし、麻生さんが言わんとしたことも、一概に否定はで きません。先年石飛幸三氏から贈られた自著『平穏死のす すめ』( 講談社刊) を一読し、その内容に僕が深い感銘を受 けその主張に共鳴したことは、既に数年前のRapport で書 かしていただいたとおりで、僕は早速ワイフや子供たちに「… 終末期を迎えた時は、一切の延命措置は断って、平穏に来 世に送って欲しい…」と厳命しましたし、そのうち、正式 の遺書としても、そのことをしっかり書き記すつもりです。
今年86 歳を迎える僕は、今のところ至って元気に忙し い日々を送っていますが、長生きしたいと思ったことは一 度もありません。生き過ぎて、親しい人々とは死に別れ、 周りの人々から 「あのお爺さん、まだ生きているよ…」 などと囁かれながら白い目で眺めつづけられた後にやっと 死んだ時、困る人はもちろんのこと、悲しむ人も惜しむ人 もいない人生ほど儚いものはないはずだからです。僕のよ うな年齢になると、親しかった友人の多くが既に先立って、 僕の両親たちと一緒に僕がこの世からやってくるのを待ち 焦がれてくれているはずです。「…なんて大言壮語できる のも、健康だからだ」と言われれば、それまでですが…。 |
|
2013年1月7日 |
|
|
正月休みをいかがお過ごしでしたか? 僕は年末から約十日 間珍しくほとんど家に居て、主に読書したり書類の整理をした り今年の計画を練ったりと、充実した日々を過ごしました。何 時も思うのですが、特定の仕事で毎日を追われがちな人間には、 こうした長期間の休日は、公私両面において極めて有用です。
さて、今年の僕の抱負は、年末是枝伸彦君と共に僕のオフィ スにやってきたネパール人のヴァッタ・ヴァバン君から受けた 相談ごとから一つ増えました。日本に留学後も日本に残った同 君は在日外国人にとって公私両面で極めて不利な条件下で苦労 を重ねた結果、今や飲食業から不動産業・旅行業等に広がった 事業全体で(主にパートとアルバイトの)従業員約2,400 名、 年商75 億円(平成24 年度)という中堅実業家です。特に主 力事業である飲食業では、競争が日本一の東京都心店を含め 70 店舗に達していますから、同氏の経営能力が推察できます。
ところで、同君の相談事と言うのは、成田または羽田〜カ トマンズの直行便の開設。もしこれが実現すれば、現在バンコッ ク経由で約15時間かかる東京〜ネパール間の飛行時間が、半 分に短縮されるとのことです。「ネパールといえばヒマラヤ」で、 現在でも日本からの観光客は年間約4万人ですが、直行便が飛 べば当然客の激増が予想されるほか、日本とネパールとの経済 関係も急激に活発化するでしょう。学生時代から山岳部で高山 に憧れ続けてきた僕も、ヒマラヤを眺めるのは、人生最高の夢。
目下ネパールで国際線航空会社はBB AIRWAYS の一社のみ ですが、何とヴァバン君は現在同社の会長を兼務しており、同 国の官民(因みに同君のご尊父は現在の同国内閣閣僚の一人と のこと)の期待が同氏の双肩にかかっているはずです。同君の 夢を適えることが、今年の僕の重要課題の一つになりそうです。 |
|